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令和3年1月22日(金)
『ライオンに恩返しをしたネズミ』(イソップ童話)
 ライオンが,木陰で昼寝をしていました。すると,そこへネズミが来てライオンの背中へ登り,ちょろちょろ走り回りました。
 ネズミに気づいたライオンは目を覚まし,ネズミを捕まえて食べようとしました。
「わたしを食べないでください。こんな小さなネズミを食べても,おなかいっぱいにはなりません。わたしを助けてくださったら,いつか必ず,あなたを助けますから!」
 ネズミは震えながら,精一杯頼みました。
 ライオンはしばらく考えていましたが,ネズミが可愛そうになり,黙って放してやることにしました。
 何日かして,ライオンは猟師に捕まってしまいました。
 丈夫なロープの首輪をつけられ木に固定されて,ライオンは逃げることが出来ません。
(ああ,わたしの人生もこれで終わりだ)
 ライオンがあきらめようとしたときです。あの時のネズミがやって来て,鋭い歯でロープを噛み切り,ライオンを助けました。
「ありがとう。ネズミ君のおかげで助かった!」
 ライオンはネズミにお礼を言いました。そして,その後は仲良くなったということです。
 この話は,どんなに強い者でも,時には弱い立場にある者に助けてもらうこともある。という教えでした。

令和3年1月21日(木)
あいさつができる
昭和女子大学 板東眞里子 学長 
 朝起きて家族と顔を合わせるときに,できるだけ大きな声で,「おはよう」のあいさつをしましょう。照れくさいとか,子どもみたいとバカにしないでください。
 一日のはじめに,周りの人と「おはようございます」という言葉を掛け合うと,心が明るくなります。明るく楽しい気持ちで一日が過ごせるように,元気よくあいさつする習慣をつけましょう。
 私は朝,学生に自分から「おはよう」と声をかけますが,「おはようございます」と返事をしてもらえないとがっかりし,私のことが嫌いなのだろうか,反感を持っているのではないか,,と心配になります。誰かから先に声をかけられたら,必ず「おはようございます」と返しましょう。
 あいさつは,相手のことを認め,尊重し,よい関係でいたいという気持ちを表すものなので,無視されると「あの人は私のことが嫌いなのかな」と思われがちです。必ず明るく返すようにしましょう。人から声をかけられるのを待つのではなく,自分から働きかけるのです。
 家族の間だけでなく,学校に行く途中で近所の人に会ったり,学校に着いてから,先生や友だちと顔を合わせたりしたら,やはり「おはようございます」と,自分から声をかけましょう。朝の十時を過ぎてからのあいさつは,「おはよう」ではなく「こんにちは」の方がよいでしょう。
 「こんにちは」「こんばんは」の語源は,「こんにちはお元気ですか」とか「こんばんは,おじゃまします」などの「こんにちは」「こんばんは」であり,後ろの言葉が省略されるようになって「こんにちは」「こんばんは」になったそうです。
 「行ってきます」「ただいま」など,家を出るとき,帰ったときにするあいさつも大切です。また,家族の誰かが出かけるときは,「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」と声をかけましょう。家を出入りするときのあいさつは,家族がお互いのことを大切に思い,気にかけていることを伝え合う,大切な機会です。
 「自分の親なんて大嫌い」と思っているうちは,未熟な子どもです。親はかけがえのない存在です。できるだけ大きな声であいさつをし,愛情と感謝を示しましょう。まずは家族の間でのあいさつを習慣にすると,自然にそれ以外の人にもあいさつできるようになります。
 あいさつは,自分以外の存在を認めているというメッセージ,仲良くしたいという気持ちの表れです。周りの人とよい関係を築き,毎日を気持ちよく過ごすスタートは,ひとことのあいさつです。

令和3年1月20日(水)
「人身(じんしん)受け難(がた)し,今已(すで)に受く」
 これは,お釈迦様の有名な言葉です。人身とは私たち人間のことです。「なかなか生まれることが難しい人間として生まれることができてよかった!」という意味です。
 私たちは人間に生まれたことを当たり前のことと思ったり,苦しい時や悲しい時などは,人間に生まれたことを恨んだり後悔したりしていませんか?しかし,人間に生まれたことは,とても有り難いことなのです。これには,次のような話があります。
 ある時,お釈迦様が弟子の阿難(あなん)に,
「あなたは人間として生まれたことをどう思っていますか」と尋ねられました。阿難(あなん)は
「大変喜んでおります」と答えると,お釈迦様は盲亀浮木 (もうきふぼく)の譬(たと)え」と言われるお話をしました。
「果てしなく広がる海の底に,目の見えない亀がいる。その亀が,100年に一度,海面に顔を出すそうだ。広い海には一本の丸太棒が浮いている。丸太棒の真ん中には小さな穴がある。その丸太棒は風や海流に乗って,西へ東へ,南へ北へと漂っているのだ。」
「阿難(あなん)よ,100年に一度,浮かび上がるこの亀が,浮かび上がった拍子に,丸太棒の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか?」と聞かれた阿難(あなん)は驚き,
「お釈迦様,そんなことはとても考えられません!」と答えると,
「絶対にないと言い切れるか?」お釈迦様が念を押されると,
「何億年かける何億年,何兆年かける何兆年の間には,ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが,無いと言ってもよいくらい難しいことです」と阿難(あなん)が答えました。お釈迦様は,
「ところが阿難(あなん)よ,私たちが人間に生まれることは,この亀が,丸太棒の穴に首を入れることがあるよりも,難しい,有難いことなんだよ・・・」と話されました。
 「有難い」とは「有ることが難しい」ということで,めったに無いことです。人間に生まれることは,それほどめったにないことで,喜ばねばならない奇跡のようなことなのです。
 「人身受け難し,今已に受く」とは,「人間に生まれてよかった!」と思える奇跡への感謝の気持ちを込めたの言葉なのです。