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令和2年11月26日(木)
小さなケーキ
 今日は,「小さなケーキ」という,ある女性が書いた文章を紹介します。
これ,反抗期の時の話しなんだけど,今でも忘れられない。
幼い頃からずっと片親で育ってきた私は,父親と二人暮らしをしてた。友達や親戚から見ても,誰から見ても,私を大事に宝物の様に可愛がってくれて,一生懸命働いてくれてた。私の願い事は無理してでも,自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。風邪の時には仕事さぼってでも側に居てくれてた。寂しい思いはさせなかったと思う。
二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。
けど,十代半ば,反抗期のせいで,父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。心配される事とか,口聞く事も,すべてがうっとおしくなったんだ。私は毎晩,夜遅く帰って来て父が心配してくれても私は父に罵声しかあびせなかった。友達と遊ぶ事が楽しくて,だんだん家にも帰らなくなった。そんな毎日を繰り返しまた夜,久しぶりに帰ったら私の分のおかずとか,小さなケーキがおいてあったんだ。もう誕生日も二~三日すぎてたのに,おいてあって,毎日ご飯作っていつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていてくれてたんだと思ったら,切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。そして無造作に置かれてた小銭入れ,ボロボロな汚い小銭入れ,私が幼稚園の頃に父の日にあげたやつ。まだ使ってたんだ。
父は,ほんとに私を誰よりも何よりも大切な宝モノなんだって事が胸につきささって,父に優しくしてあげられなかった事に,また泣いた。
また後から知った事だけど,私が小さい頃に書いた父の日のカードも,肌身離さず持っていました。
あの一件以来,私はちゃんと帰るようにはなりました。
そんなこんなで今私は結婚もして,もうすぐで子供も産まれます。私は父がくれたあの愛情を,これから産まれてくる子供にたっぷりそそぎます。
そんな私をこれからも空から見守っててください。
お父さん,こんな私を育ててくれてありがとう。
私はとっても幸せです。
大好きだったよ。

令和2年11月24日(火)
島津日新公のいろは歌
 日新公いろは歌は,島津家中興の祖で,島津義弘の祖父でもある島津忠良(ただよし:号は日新斉・じっしんさい)が,5年余の歳月をかけ完成させた薩摩藩の郷中教育の基礎となった47首の歌です。今まで12首紹介してきました。
 今日は13首以降の5首を紹介します。
わ 私を捨てて君にしむかはねば うらみも起こり 述懐(じゅっかい)もあり
  君主に仕えるには,身をささげて我を捨てなければ,恨みも起こり不平不満も出る。自分の一身を捧げて君主に仕えなさい。
か 学問はあしたの潮のひるまにも なみのよるこそ なほ静かなれ
  学問をするには朝も昼も間断(かんだん)なく修めなければならない。特に夜は静かで勉強しやすい。無駄な時間を過ごすのではなく,夜こそしっかり勉強するべきだ。
よ 善きあしき人の上にて身を磨け 友はかがみと なるものぞかし
人は自分の行いの善し悪しを知ることは難しいが,他人の行いの善悪は目に付くものです。日頃,友人を見て良いことはこれを見習い,悪いことは反面教師としなさい。
た 種子(たね)となる心の水にまかせずば 道より外に 名も流れまじ
私利私欲(しりしよく)にかられて自分勝手なことをすれば,人の道に外れた悪いうわさが流れるものです。この私利私欲の悪い心の種を刈り取って,正しい道を行くなさい。
れ 礼するは人にするかは人をまた さぐるは人を 下ぐるものかは
他人に礼を尽くす事は,自分を正しくして自分自身を敬う事にもつながります。天を敬い己を慎む心を養いなさい。
そ そしるにも二つあるべし大方は 主人のために なるものと知れ
家臣(かしん)が目上の人の悪口を言うのは二通りあります。主人を思うあまり言う悪口と,自分の利害から来る悪口です。主人たるものは悪口を良く判断し,主人を思う悪口の場合,それを反省の材料とすべきなのです。