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令和4年2月28日(月)
学校は知識を使って考える力を養うところです
 皆さんは,自分がなぜ学校に行くのか考えたことはありますか。社会生活を送るために,最低限必要な知識を身につけるため,人間関係をつくるため,社会との接点をもつためなど,いろいろと思いつくことでしょう。どれも正解だと思います。
 単に高校をはじめ上級学校に進みたいからとか,行かないとまわりの目が気になるから,といった理由もあるかもしれません。その目的を達成するために必要な行動をするのは,理(り)に適っ(かなっ)ています。
 私は,学校はひと言で言うと,広い意味での知識と,その知識をどう使えばいいのかを勉強する場所だと思っています。
 美味しい料理がつくれる料理人でも,最初は本を見たり,人に教えてもらってレシピを覚えるところから始めたはずです。学校に通うのも同じことで,美味しい人生を送るための「知識や考える力」を養うレシピを教わりに行くのです。
 勉強は,人生でどんな役に立つのでしょうか。例えば,皆さんは学校で漢字を学んでいますが,知らない町に行ったときでも,案内板をきちんと読めますよね。これは漢字を学んだからです。
 それに,知識が増えたら,それだけ自分ができる仕事が増えますよね。外国語を身につけたら,外国の方が大勢やってくるイベントが行われたときも,通訳やガイドなど,仕事の幅が広がります。
 専門のことであろうが,専門外のことであろうが,要するに物事を自分の頭で考え,自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため,学ぶのです。そのために勉強するのです。

令和4年2月24日(木)
天才とは努力する凡才のことである。
 この言葉は,ドイツ生まれの物理学者であるアルバート・アインシュタインの言葉です。
 アインシュタインは,天才とは特別なものではないということを「天才とは努力する凡才のことである」と言い表しています。皆さんの中に,今天才と言われる人はいないのかも知れません。しかしながら,努力を忘れなければいつか天才と呼ばれる時が来るかも知れません。皆さんが自分自身を励ます時にこの言葉を覚えておき,口に出してもらいたいと思います。
 そうは言っても,人間は怠けてしまう生き物です。実は,努力を続けることはとても困難を伴い,苦しいものです。その困難や苦しさを乗り越え,誰よりも努力した結果,成功すると思うのです。つまり,成功した人は何かに恵まれていたわけではなく,誰よりも努力したからでもあるといえます。
 もちろん,生まれ持った才能や環境も人に大きな影響を与えるものです。しかし,そんな差など,努力の差によって生まれる結果に比べたら小さいものです。
 アインシュタインは,『誰よりも努力できること,それが天才と呼ばれる人の資質である』とも言っています。

令和4年2月22日(火)
現実社会の中で,どのように適応(てきおう)していくか
 学校の勉強が嫌いで,成績はあまり良くなかったけれど,大人になってから社会で大活躍したり,大成功したりしている人が,世の中にはたくさんいます。その人たちは,大人になってからいきなり才能が開花したのでしょうか。
 いいえ,おそらくそういう人たちは,子ども時代から,テストの点数とか学校の成績では測れない種類の頭のよさを持っていたと思います。
 新しいものを生み出す発想力とか,人を喜ばせたりやる気にさせたりする優れたコミュニケーション力とか,そういうものは学校のテストでは分かりません。
 勉強ができる,成績がいいということは,ある一面では確かに「頭がいい」のです。しかし,皆さんが思っているほど絶対的なものではありません。
 学校を出てからの人生で求められる頭のよさとは,「社会的適応性」の高さです。人生でずっと求め続けられる本当の頭のよさとは,社会にどう適応できるか,という力なのです。
 だからといって,「勉強しなくていい」ということではありません。勉強は,頭の基礎トレーニングなのです。勉強ができる環境にあるときは,勉強したほうがずっといいです。勉強を甘く見ると,その後の人生で苦労します。これは皆さんより長く生きている私が大人として,口を酸っぱくして言っておきたいことです。