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令和3年12月24日 『2学期終業式の挨拶』
 今日で2学期が終わります。2学期は,新型コロナウィルス感染症予防策を講じながら,体育大会や文化祭,持久走大会などの大きな行事,そしてパラリンピアン講演会などを行い,それぞれの行事の目的を達成できました。パラリンピアン講演会では,北海道在住の2016リオデジャネイロパラリンピック女子テニスダブルスの日本代表である二条実穗選手をお招きしました。二条選手は,自分の「好き」を大切にすること,夢を言葉に出し宣言すること,他人と自分を比べないこと,「無理」と絶対に言わないことなどについてお話しになり,私たちのやる気に火をつけてくださいました。先生方や生徒の皆さんと協力しながら各行事を実施できたことに嬉しく思います。
 また,生徒会の引き継ぎができ,日常活動も軌道に乗ってきました。皆さん一人一人が志布志中学校の主役です。今後も生徒会のテーマ『笑顔輝き 助け合う 思いやりあふれる 志布志中』実現を目指して取り組みましょう。
 2学期始業式では,毎時間の黙想の際,即ち授業の前には,腰骨を立てることを確認しましたが,実践できましたか。腰骨を立てるとやる気が起きます。気持ちがシャンとします。是非ことあるごとに思い出して実践してください。
 また,学校で学んだ内容を確実に定着させるために,土日は家庭学習時間の目安である,「学年+1時間」を達成するように言いましたが,どうでしたか。少なくとも3年生は,冬休み明けの実力テストや私立高校入試に向けて,冬休み期間中は「学年+1時間」で家庭学習に取り組みましょう。そして,どの学年の生徒も,通常の授業がある日は,最低2時間,120分は家庭学習に取り組むようにしてください。
 本校の校訓の一つ「友愛」は,礼儀正しく,明朗で思いやりのある生徒の育成を目指しています。学校生活を送る上で,人に嫌な気持ちにさせたり,させられたりすることがないようにすることが大切です。このことは,9月の始業式でもお願いしましたが,人が嫌がることをしたり,されたりしませんでしたか?生徒会のテーマに含まれる『思いやりあふれる 志布志中』はいじめのない「友愛」あふれる学校づくりのテーマでもあると思っています。今後定期的にいじめアンケートを実施しますが,いじめをはじめ,嫌な気持ちになるようなことがあれば,アンケートに記入して先生たちへも知らせてください。
 最後に,明日から,本格的に寒い冬となるようです。しかし,春の来ない冬はありません。朝の来ない夜もありません。辛い時期を耐え忍び,今やるべきことに精一杯取り組み,飲酒,喫煙などの不法行為,万引きや人を傷つけるなどの犯罪行為はもちろん,ネット漬け・ゲーム漬けとなり昼夜逆転の生活を送るなど,自分自身をダメにする行動は厳に慎みましょう。年末年始もメディア時間1時間を守りましょう。そして,ラインやインスタなどのSNSで周りの人々を傷つけることが無いようにしましょう。
 3学期始業式では,一回り大きくなった皆さんと再会できることを楽しみにしています。

令和3年12月22日(水)
七転八起(しちてんはっき)
「七転八起 」には,何度失敗してもくじけずに,何度も立ち上がって努力するという意味があります。また,人生の浮き沈みが激しいことのたとえとしてこの言葉を用いることもあります。
長い人生を歩んでいると,幸せな出来事や楽しい出来事もあれば,辛い出来事や悲しい出来事に直面することもあるでしょう。
辛い出来事や悲しい出来事に直面すると,立ち直れなくなるほど落ち込んでしまったり,途中で何もかも投げ出したくなることもあるかもしれません。
しかし,そこでめげずに何度も立ち上がれば大きな目標を達成することができたり,大きな幸せを掴むことができるかもしれません。
似た言葉に「七転び八起き(ななころびやおき)」があります。意味は「七転八起(しちてんはっき)」と同じで,何度失敗しても立ち上がり努力を続けるという意味を持つ言葉です。七転八起(しちてんはっき)は,七転び八起きの四文字熟語として多く用いられています。
さらに,「七転八倒(しちてんばっとう)」があります。「七転八倒」とは,「七転」は七転八起と同じく数多く転げまわる様を表し,「八倒」は八起とは異なり,起き上がらず何度も倒れる様を表しています。つまり,何度も転げまわり,のたうち回るようにもがき苦しみ,耐えられない苦しみや悲しみを表す四文字熟語です。一般的に「七転八倒(しちてんばっとう)の苦しみ」などと表現します。
志布志中の皆さんには,何度転んでもめげずに立ち上がり,大きな目標や夢・志を達成することを願っています。

令和3年12月20日(月)
勤勉の徳(松下幸之助)
 天災(てんさい)地変(ちへん)をまつまでもなく,粒々辛苦(りゅうりゅうしんく)の,すなわち農民が苦労してつくった穀物(こくもつ)の一粒一粒の結晶による巨万の富も,事あらば一朝にして失われてしまうことがしばしばある。形あるものはいつかは滅びるにしても,まことにはかない姿であるといえよう。だがしかし,身についた技とか習性とかは,これは生あるかぎり失われはしない。たよりになるのは,やはり自分の身についた技,身についた習性。だから,何か一つでもいいから,よき技,よき習性を身につけたいものであるが,なかでもいわゆる勤勉(きんべん)の習性は,何にもまして尊いものに思われる。
 勤勉は喜びを生み,信用を生み,そして富を生む。人間のいわば一つの大事な徳である。徳であるかぎり,これを積むには不断(ふだん)の努力がいる。相撲(すもう)に強くなるためには,不断(ふだん)に(絶えることなく)真剣なけいこを積まねばならないように,勤勉の習性を身につけるためには,まず日々を勤勉につとめる努力がいるのである。その努力が重なって勤勉の習性が身につき,その習性からはじめて徳が生まれてくる。おたがいに勤勉の徳を積みたいものである。