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 今日は,平成30年最後の「四の日挨拶運動の日」でした。朝の寒さが厳しくなりましたが,本日行われている持久走大会へ向けての朝練に参加するために,冷たい風をきって自転車で登校する生徒たち,防寒着も着けずに歩いて登校する生徒たち等々の姿を見ていると「今日も頑張ろう」という元気をもらっています。
 また,校門下で登校指導していると,志布志小学校の方から歩いて登校してくる生徒たちが遠くから「おはようございます」という挨拶をしてくれたり,中学校通りを登校してくる生徒たちがいつも笑顔で挨拶をしてくれたり,自転車で登校する生徒たちが「おはようございます。」という挨拶だけでなく,「ありがとうございます。」という言葉を贈ってくれたりと,毎朝お心温まる時間を過ごしています。
 挨拶は,『相手の心の扉を開くカギ』と言われます。私は,この言葉を聞いて,『なるほど,本当だな』と思うことがよくあります。
『心のドアは内側からしか開けられない』とも言われますが,挨拶を繰り返すことで,今まで開かなかった扉が開いた瞬間,言葉に例えられない喜びを感じるものです。
 周りの人に対して「一歩近づいてみよう」「自分の事を分かってもらおう」とするその思いが心の扉を開ける大きな力になり,『挨拶』というカギによって心の扉を開かれるのです。
 約1年半前,志布志中へ転勤してきて校門前で「おはようございます。」と挨拶してもなかなか挨拶が返ってこず,軽く頭を下げて通る生徒たちがほとんどでしたが,今は,どんなに寒くても「おはようございます。」という挨拶が返ってきます。
 今,君たちの挨拶を楽しみにしていらっしゃる地域の方々や友達,先生方がたくさんいます。こらからもまだまだ寒い日が続きますが,ぜひ,君たちの元気な挨拶を地域の方々,友達,先生たちにプレゼントしてください。

 今日は,以前も紹介したのですが,ある女子中学生の『「自由」について』という作文を紹介します。みなさんも一緒に考えてみてください。
『「自由」という素敵な言葉は,字の通り素晴らしいものである。しかし,自分の行動には責任を持たなければならない。勝手気ままに自分がやりたいことをすれば,他人に迷惑がかかったり,何かを犠牲にしなければならなくなる。果たしてそれを「自由」と呼べるのだろうか。
「自由」という言葉を聞くと私達は,どうしても現実離れした発想が次々と浮かんでくる。しかし「仕事をやめてどこかで遊びたい」とか「勉強から解放されい」などというのは,「自由」ではなく「逃避」だ。逃避には何の意味もない。
 自由であるということは,自分の行動に責任を持ちながら自分のやりたいことを実行することだと思う。自由の前提には責任があることを忘れてはならない。』
 どうですか。友だちの行動を見て,もう少し,周りの視線や周りの人の気持ちに気付いてほしいなと思ったことありませんか。
 本を読んでいる友達のそばで話を始めたり,大きな声で笑ったりする人,掃除時間開始を知らせる予鈴が鳴り,掃除場所へ移動しなければならないのに,集まって話を止めない人たち,「授業開始2分前です。席について下さい」という放送が流れているのに廊下で楽しそうに話をしている人たち・・・・。お願いだから,周りの人の気持ちに気付いてと思ったことはありませんか。
 人は,決して一人では生きていけないのですから,「周りの人に迷惑をかけないようにしよう。」「人に嫌な思いをさせないようにしよう」と気遣うことで,人は成長していくのではないでしょうか。ちょっとした心遣いから始めてみませんか。