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令和2年9月24日(木)
「ありがとう」を一日10回言う
昭和女子大学 板東眞里子 学長 
 「サンキュー」「シェシェ」「グラシアス」
 言葉の分からない外国に行くときでも,一つだけ必ず覚えておきたいのが「ありがとう」にあたる言葉です。「ありがとう」という言葉が言えるだけで,外国で会った見知らぬ人にも,心を開いてもらうことができます。
 外国だけでなく,もちろん日本でも,「ありがとうございます」と,言うべき時に自然と言えるのはとてもエレガントです。たとえば,エレベーターに乗ろうとしたとき,先にゆずってもらったり,電車で席をつめてもらったりしたら,知らん顔をするのではなく,「ありがとうございます」と言いましょう。着ている洋服を褒められたりしたときも,謙遜するよりも,さりげなく「ありがとう」と答えましょう。
 自分がしたことを褒められたときも「ありがとうございます」と素直に感謝します。一人ではなく,チームが頑張ったことについて褒められた場合は「ありがとう」の後,「みんなで頑張ったんです」「みんなのおかげです」と付け加えます。
 友人や仲間に何かを手伝ってもらったりしたら,もちろん,心を込めて「ありがとう」とお礼を言います。お店の人にも,お金を払っているのだから,親切にしてもらって当然という態度ではなく,「ありがとう」と丁寧に言いましょう。
普段の生活で「ありがとうございます」と言う言葉をあまり使わない人が多いのは,残念なことです。
 人からサービスされたときや親切にされたとき,「すみません」という言葉を,「ありがとうございます」の代わりに使う人もよくいますが,感謝の気持ちを表すには,やはり「ありがとうございます」の方がふさわしく,自然だと思います。
「ありがとう」という言葉は,誰にとっても,言われると気持ちのよい言葉です。それだけでなく,口にした自分自身も幸せな気持ちになります。みんなを心地よくしてくれる「魔法の言葉」なのです。
 一日10回,必ず声に出して「ありがとう」と言う習慣をつけると,あなたの周りに必ずいいことが起こり,友だちの輪も広がります。

令和2年9月23日(水)
小さいうちに対応を!
~ ルドルフ・ジュリアーニ氏(ニューヨーク市長) ~
ルドルフ・ジュリアーニ氏は1994年にニューヨーク市長に選出されました。彼は「犯罪の街,ニューヨーク」を「家族連れにも安心な街,ニューヨーク」に変貌させる道筋をつけたことでも有名になった政治家です。
ニューヨーク地区連邦検事から市長に転じたジュリアーニでしたが,就任後に最初に取り組んだのは「地下鉄の落書き消し」でした。これは当初,マスコミや市民から批判されてしまいました。その当時多発していた重大犯罪の防止対策に手をつけず,落書き消しに取り組んだため,ジュリアーニは弱腰だと非難されてしまったのです。しかし,ジュリアーニと彼をサポートした警察幹部には信念がありました。小さな犯罪を徹底的に排除していくことで,ニューヨークではどんなに小さな犯罪であれ容赦なく罰せられるとのシグナルを送り,それが安全な街作りにつながるという信念です。
最初の頃はこの取り組みは馬鹿にされていましたが,彼の信念は数年の内に実を結びました。それは,段々とボランティアの市民が落書き消しに参加するようになり,結果として,殺人,暴行,強盗といった凶悪な犯罪の数が激減したのです。地下鉄の落書き対策が大きな成果を生んだと言えます。
一見すると「小さなこと」,「些細(ささい)なこと」かも知れませんが,それらが重大な問題につながることが多いのです。物事は早いうちに,小さなうちに対応するべきなのです。そして,何か問題が発生したら,小さなことを徹底して修正することが大切です。これは,一事徹底や凡事徹底ともいえます。
新学期に入り,朝のボランティア作業でゴミを拾う生徒が増えてきましたし,清掃活動を一生懸命取り組む生徒も増えてきているような気がしています。ジュリアーニ市長がそうしたように,私たち志布志中学校の生徒自身の力で根気強くゴミ拾いやスリッパ並べなど自主的な活動に取り組みましょう!そして,お互いの人間関係においても,問題が小さいうちに対応できるようにしましょう。

令和2年9月18日(金)
守られるべき個性
 今日は少々長いですが,平成30年県人権作文コンテスト最優秀賞,当時小学校6年生だった女子児童の「守られるべき個性」の作文を紹介します。
 「女の人の格好をしている男の人のことは何て言うんですか。」私は笑いながら,先生に質問した。ちょっとした冗談。軽い気持ちで。
 7月の外国語の授業でのことだ。この日は,友だちにインタビューしたことを「ヒー」や「シー」を使って紹介する学習をした。
「ヒー キャン ラン ファスト」「男の人はヒー,女の人はシーを使います」先生が説明されたとき,私は,最近よくテレビで見る人たちのことを思い出し,深く考えずに質問していた。冗談のつもりで,笑いながら。
 でも,先生の反応は意外なものだった。先生はしばらく考えてから,真剣な顔で,ゆっくりと話し始められた。
「基本的には,男の人はヒーだね。でも,自分は男性に生まれてきたけど,それを受け入れたくなくて,女性として扱ってほしいと本人が思っているなら,シーを使った方がいいと思うよ。」
 思ってもいない展開だった。いつも,先生は冗談を言ったり楽しく話したりされるから,この日も軽く返してくれると思っていた。が,先生はニコリともせず,いつもより真面目に答えられた。男らしく,女らしくと言うことは,決めつけることではないこと,人それぞれの思いがあり,周りに理解されずに苦しんでいる人がいることも付け加えられた。それを聞いたAEAの先生も,
「そうですね。その場合はそれがいいですね。」とうなずかれた。
 私は,言葉が出ず,何となく思い空気の中,着席した。「どうしよう。」その後の授業は,どんなことをしたか覚えていない。みんなは何事もなかったかのように過ごしていたが,私の頭の中には,以前先生がおっしゃったある言葉が浮かんでいた。
「自分の口から一度出た言葉は,もう戻すことができないんだよ。」それを痛感していた。先生が,私を叱るわけでもなく,静かな声で話をされたことも私の後悔を大きくした。
 私は,正直,今まで,男の人が女の人の格好をしてテレビに出たりしているのは変だなと感じていた。男は男,女は女でいいじゃないかと。でも,自分の性別を受け入れられずに苦しんでいる人のことや,真剣に変わりたいと悩んでいる人もいることを知って,からかいの気持ちをもつことに恥ずかしさを感じた。きっと,その人たちは,周りの人に分かってもらえずに嫌な気持ちもされただろう。私は冗談半分で言った自分の言葉が,どれだけ失礼なことだったか思い知らされた。
 人には,それぞれの趣味や個性がある。私にだってある。それを,他人の一言で,変えたりあきらめたりすることは,もっと変だと思った。私には,応援しているアイドルがいる。友達は,大っぴらにアイドルの話をして楽しそうにしているが,私は同じようには,なかなかできない。それは,私がそういうことをすると,周りの人に,「へぇ,○○さんがそういう趣味なんて意外だ。」と言われるかも知れないと思うからだ。イメージだけで自分の人格を決められて嫌な思いをしたくないと思っているのに,私がしたことは,自分がしてほしくないと思っていることそのものだと気づいた。誰でも,一人一人の思いや考えがあり,周りの人が,それを理解するための知識を持つことが必要なのだと改めて思った。
 もし,あの外国語の時間に,先生に真剣に教えてもらわなければ,私はこんな気持ちにはならなかっただろう。百人いれば百通りの考えの人がいる。お互いを認め合うことを忘れないようにしたい。一人一人が違うから面白いし,違って当たり前なのだから。