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 『ちょボラ』という言葉を昨年紹介した事がありましたが,覚えていますか。『ちょボラ』とは,ちょっとしたボランティアの事を表した言葉です。
 ボランティアと言えば,「むずかしいもの」「特別なもの」と考えられがちですが,もっと気軽で身近なものとして「自分にもできること」「関心のあること」から始めてみようという呼びかけで,2001年に始まったのが『ちょボラ』です。
 今,君たちが生徒会の呼びかけで行っている「ほうきの目運動」や「あいさつ運動」,「ゴミ拾い運動」も朝の時間を利用して気軽にできる『ちょボラ』です。
 先日の休み時間に「男子生徒がトイレの前でしゃがみこんでいるのでどうしたのかな」とある先生が近寄って行くと,トイレのスリッパを並べているところだったという話を聞きました。その男子生徒は,授業開始を知らせるチャイムが鳴る前のほんの短い時間を利用して,次にトイレを使う人が使いやすいようにスリッパを綺麗に並べてくれていたのです。
 これは,『ちょボラ』の1例ですが,君たちの身の回りにも何気ないボランティアをしている友だちはいませんか。ぜひ,『ちょボラ』を見かけたら,教えてください。
 君たちの身の周りには,「ゴミを拾う」とか「机を並べる」とか「友達の手伝いをする」,「元気のない友達に声をかける」等のように簡単にできる『ちょボラ』があふれています。そして,その『ちょボラ』は,誰にでも,いつでも,どこでも,何回でも簡単にできる事だと思います。
 ぜひ,君の『ちょボラ』が,学級の『ちょボラ』に,そして,学年の,志布志中の『ちょボラ』へと大きな輪となって広がり,志布志中の今年の流行語になってくれればと願っています。

 『本当の友だちは』と聞かれた時に何と答えますか。
 「ぼくの友だちは,毎日,待ち合わせして一緒に登校する人」「私の友達は,一緒にいて楽しい人」「いつもそばにいてくれる人」「優しい言葉をかけてくれる人」等々人によって答は違うと思います。
 でも,本当の友達を勘違いしていませんか。「忠言は耳に逆らえども行いに利あり」という言葉があります。自分のためを思った忠告は聞きにくいけれど,自分にとってプラスになるという意味です。先生に叱られた後等に,「気にするなそんな事」等と優しい言葉で励ましてくれるとその場は嬉しいですが,時間が経つと何を言われたか覚えていないことってないですか。
 「何やってんだよ。少し考えれば分かることじゃないか」等と本当に自分の事を考えてくれた言葉は,ある面厳しくて素直に聞けないことが多いですが,後々になって心に残るものです。
「良薬は口に苦し」という言葉もあるようによく効く薬ほど苦いものです。優しい言葉だけでなく,あなたの事を思って厳しいことを言ってくれる人こそが,あなたにとっての本当の友達なのです。
 学校生活の中を振り返ってみてください。「1人だったら素直にあいさつができるのに,隣に友だちがいると挨拶ができない」とか,「1人だったら黙々と掃除ができるのに,周りに友だちがいるとつい遊んでしまう」という事はありませんか。
 本当の友だちだったら,そういう時に「ちゃんと挨拶しよう」とか「掃除が終わってから遊ぼう」と言ってくれるのではないでしょうか。また,近くにいる友だちを意識して「できる事ができない」というのはおかしいのではないでしょうか。
 中学生から高校生の間に,生涯の友ができると言われます。互いに相手の事を考え,友だちの成長を手助けできる友だち関係を創っていってほしいものです。