Skip to content

令和2年9月9日(水)
アリとキリギリス(The Ants and the Grasshopper)
夏のある日,キリギリスが野原で歌を歌っていると,アリたちがぞろぞろ歩いてきました。
「おい,アリさんたち。何をしてるんだい?」
「これはキリギリスさん,私たちは食べ物を運んでいるんですよ」
「ふーん。だけど,ここには食べ物がいっぱいあるじゃないか。どうして,いちいち家に食べ物を運ぶんだい。僕みたいに,お腹が空いたらその辺にある食べ物を食べて,あとは楽しく歌を歌ったり,遊んだりしていればいいじゃないか」
「でもね。キリギリスさん。今は夏だから食べ物がたくさんあるけど,冬が来たら,食べ物はなくなってしまいますよ。今のうちにたくさんの食べ物を集めておかないと,あとで困りますよ」
アリたちがそう言うと,キリギリスはバカにした様に,笑って
「まだ夏が始まったばかり。冬の事は冬が来てから考えればいいのさ」
そう答えると,また歌を歌い始めました。それからもキリギリスは毎日陽気に歌って暮らし,アリたちはせっせと家に食べ物を運びました。
やがて夏が終わり,秋が来ました。キリギリスは,ますます陽気に歌を歌っています。そしてとうとう,寒い寒い冬がやって来ました。野原の草はすっかり枯れ果て,キリギリスの食べ物は1つもなくなってしまいました。
「ああ,お腹が空いたな。困ったな。あっ,そうだ。アリさんたちが,食べ物をたくさん集めていたっけ。よし,アリさんたちに何か食べ物をわけてもらおう!」
キリギリスはアリの家にやって来ましたが,アリは家の中から,
「だから,食べ物がたくさんある夏の間に食べ物を集めておきなさいと言ったでしょう。家には私たちが食べる分しかないから,悪いけど,キリギリスさんにはあげられません」
と言って,玄関を開けてくれませんでした。
キリギリスは雪の降る野原の真ん中で,寒さに震えながらしょんぼりしていました。
先を見て行動している者は,いざというとき蓄えがありますが,今,楽をしている怠け者は,後で痛い目に逢うというお話しでした。

令和2年9月8日(火)
「あいさつ」
 今日は,愛知県の「福島圭一郎」さんという方が小学生のときに創った「あいさつ」という詩を紹介します。
 「おはよう」というと目が覚める
 「いただきます」というとお腹がすく
 「いってきます」というと元気にいける
 「ありがとう」というと気持ちがいい
 「ごめんなさい」というとほっとする
 「おやすみなさい」というといい夢みられる
 あいさつってうれしいな
 挨拶することっていいことばかりですね。志布志中学校の生徒の皆さんも,自分から挨拶してうれしくなってください。
 もう一度,福島さんの詩を朗読します。
 「おはよう」というと目が覚める
 「いただきます」というとお腹がすく
 「いってきます」というと元気にいける
 「ありがとう」というと気持ちがいい
 「ごめんなさい」というとほっとする
 「おやすみなさい」というといい夢みられる
 あいさつってうれしいな

令和2年9月3日(木)
一寸(いっすん)の虫にも五分(ごぶ)の魂(たましい)
 「一寸の虫にも五分の魂」とは,小さな虫であっても,それなりに「魂」「心」があるという意味です。寸は長さの単位で,一寸は約3.3cmです。五分はその半分,約1.7cmの長さです。
 つまり,3cmあまりの虫であっても,小さいなりの魂,心,気持ちがあるものだ。ましてや人間ならばなおさらである。どんな人間であっても,魂があるという意味です。
 この言葉の奥底には,「みんな誰でもそれなりの魂を持って生きている。その魂をないがしろにしたり,無視して対応したりしてはなりません。」と言う戒めの思いが込められています。
 このように,小さな虫や動物に対してでも魂を見出しているところに,日本人の繊細さが感じられます。他にも,「やせ蛙(がえる) 負けるな一茶 ここにあり」という小林一茶の句などが思い浮かびます。
 この表現と同じように,人間を虫にたとえる表現は,結構多いものです。例えば,めそめそ泣いている子どもに向かって「泣き虫」とか,「弱虫」などと言ったりしますよね。このように,虫は私たちの日常に密接に関わっている生き物ですから,様々な言葉,表現に使われるのです。
 当然のことながら,学校や学級の仲間にも,それぞれ魂・心があります。そして,誰の魂・心も大切にされなければなりません。なぜなら,虫でさえも,魂・心を持っているのですから。