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令和2年10月6日(火)
「カラスとみずがめ」
 今日は,イソップ物語の「カラスとみずがめ」の話を紹介します。
「喉(のど)が乾いて,死にそうだ。どこかに,水がないかなぁ?」
 カラスは喉がからからでした。飲み水を探して飛び回っていました。しかし,水は,なかなか見つかりませんでした。
 暑い夏に日照りが続いて,池も川もからからに乾いているのです。
カラスは,あっちこっちと飛び回って,やっとみずがめを見つけることができました。
「やれやれ,これで助かった。水が飲めるぞ。」
 ところが,なんということでしょう。みずがめの水は底のほうに少し入っているだけなのです。いくらくちばしを入れても,水には届きません。
「困ったなぁ」
 カラスは,がっかりしましたが,落ち着いてよく考えてみました。
どうすれば水が飲めるのだろうか。何か良い方法はないだろうか。
「そうだ,いいことを思いついたぞ。この小さな石を水がめに入れてみよう!」
 カラスは小石を拾って,瓶の中に落としました。何度も何度も小石を瓶の中に落としました。
 すると,底の水がだんだん上へ上がってきて,くちばしに届くようになりました。そうして,カラスは水を飲むことができました。
 これは,水が欲しくて困っていたカラスが,自らのアイディアにより工夫や努力をして,欲しかった「水」にありつくことができたという話でした。志布志中学校の皆さんも,困難な中にあっても,活路が生み出せるよう,知恵と汗を出しましょう。

令和2年10月5日(月)
日々是好日(にちにちこれこうじつ)
日々是好日(にちにちこれこうじつ)とは,中国唐時代の雲門文偃(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ)のことばです。ある日,禅師(ぜんじ)は弟子に「5日前のことはさておき,これから15日以降の心境を一言で述べなさい」と尋ねたそうです。しかし,弟子達はすぐには返答できませんでした。そこで,禅師(ぜんじ)が発したのが「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」ということばでした。
この語をそのとおりに解釈すれば,毎日が平穏(へいおん)で何事もない,という意味です。しかし,禅的に解釈するとそうではなく,禅師は自ら15日間という期間を示しながらも,今即刻の返答を求めたのです。
命あるもの,明日という日が来るとは限りません。この一瞬一瞬を大切にせよ,ということを教え諭したのが「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」だそうです。
毎日災いごとも何事もなく,穏やかな日々を送るだけが「日々是好日」ではありません。私のような凡人は,今日も一日よい日で無事で過ごせることを願うのみなのですが,現実は良いことや悪いことの繰り返しです。季節には四季があります。色とりどりの花が咲く春もあれば,毎日猛暑日のような厳しい夏もあります。コロナウィルスの猛威もあります。連日のように様々な問題が起き,頭を抱えるようなことが起きるかも知れません。
しかし,どんな風雨が吹き荒ぼうと,日々に起きる好悪の出来事があっても,今日のこの一日は二度とないかけがえのない日だと思います。この一日を全身全霊で生きることこそ,「日々是好日」となり得ると思うのです。
ただ何も考えず,そして待っているだけでは好日にはなりません。主体的に明日を作り充実した良き日にしていくために,日々計画を立て準備するからこそ好日になるということを理解しつつ,かけがえのない学校生活を送っていきましょう。

令和2年10月1日(木)
「中秋(ちゅうしゅう)の名月(めいげつ)」
 「中秋の名月」とは,旧暦8月15日の夜に見える月のことを指します。中秋の名月は農業の行事と結びつき,「芋名月(いもめいげつ)」と呼ばれることもあります。中秋の名月を鑑賞する習慣は,平安時代に中国から伝わったと言われています。
 今年は10月1日が中秋の名月,翌2日が満月と,中秋の名月と満月の日付が1日ずれています。
 旧暦では,新月(朔)の瞬間を含む日が,その月の朔日(ついたち)になります。今年は9月17日(新月の瞬間は20時00分)が旧暦の8月1日,10月1日が旧暦での8月15日となります。一方,天文学的な意味での満月は,地球から見て太陽と反対方向になった瞬間の月のことを指すため,満月の時刻は,10月2日6時5分です。
 今年のように,中秋の名月と満月の日付がずれることは,しばしば起こります。
 また,今年は10月の満月が2回あります。2回目の満月は10月31日で,令和2年2020年で地球から最も遠い満月です。
 反対に,令和2年2020年で地球に最も近い満月になったのは4月8日でした。地心距離から計算すると,10月31日の満月は4月8日の満月より,視直径(見たところの直径)は約14パーセント小さく,明るさは約30パーセント暗くなります。もし地球に最も近い満月と最も遠い満月を並べて比較することができれば,大きさの違いがよく分かるはずですが,実際には比較できません。月を眺めているだけでは,月の大きさの変化に気づくのは,難しいでしょう。
 さて,月の慣用句として「月とスッポン」というものがあります。江戸時代の「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」には,「スッポンは俗語でマルといい,漢字で団魚(だんちのだんとさかな)と書く。一方,月は丸いけれど,マルと呼ばれるスッポンとは大違い」と書かれています。つまり,同じ「マル」でも,月とスッポンは大違いというわけです。そこから,「月とスッポン」が比べものにならないくらい差があるという意味になりました。
 私たちは,月を良い方の例え,スッポンを良くない方の例えだと思っています。しかし,実際はどちらが良いということは無いようです。