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令和4年3月10日(木)
学校は何のために行くのか
 学校とは,勉強をしに行く場所です。それは確かなことのですが,実は勉強以外の意味がとても大きいのです。それは,「毎日,他の人と関わりに行くこと」です。そのことに意味があるのです。
 学校にはルールがあります。そのルールの中で生活し,集団の一人として,他の人たちとそれなりにうまくやっていく力を養うのです。
 学校には,いろいろな人が集まっています。育った環境や性格,ものの考え方が違う人たちの集まりです。気の合う人もいれば,意見が合わない人もいます。
 学校は小さな社会です。その一員として,いろいろな出来事がある中で何とかやっていくのは,社会という場で生きていくための練習,予行演習なのです。
 毎朝学校に行って授業を受けて,友達同士で笑ったり怒ったり,悩んだり,泣いたりして,面白くはないテスト勉強をこなしたりして生活する。ただ,毎日そこにいるだけでもいいのです。何となくでも学校に通っていると,社会で生きるコツがつかめるようになります。それが学校に行くこともメリット,一番大きな意味です。
 最近はコロナでソーシャルディスタンスを保たなければならないので,難しいかも知れませんが,皆さんは雑踏(ざっとう),人混み(ひとごみ)を歩いたことがあると思います。大勢(おおぜい)の人が行き交う夏祭りなど,あんなに人が多いのに,みんな平気な顔をして行き交っています。小さい子どもは雑踏(ざっとう)を歩くことは難しいでしょう。しかし,皆さんは平然と,何気なく歩くことができるはずです。特別な技術は要りません。
 必要なのは,「慣れ」です。人との距離感。人との間合い。スピード。そういうものに慣れたら,雑踏(ざっとう)を行き交うことができるようになるのです。人間関係に慣れることは,それと似ています。ですから,学校に通って,距離感に慣れましょう。

令和4年3月8日(火)
鴨(かも)の水掻き(みずかき)
 志布志中学校の皆さんは,鴨(かも)という鳥を知っていますか。鴨の一種であるアイガモは,野生のマガモとアヒルとを交雑交配(こうざつこうはい)させた鳥です。『アイガモ農業』として水田の除草に用いられたり,食用になったりもします。
 『鴨の水掻き』とは,気楽そうにのんびりと浮かんでいるように見える鴨も,水面の下では水かきを絶えず動かしていることにちなみ,人知れない苦労があることから生まれたことわざです。
 人は誰しも見た目だけでは分からないものです。どんなことでもそつなくこなし,常にテストでは満点近い点数を取っている優等生も,実は家に帰ったら寝る間も惜しんで勉強しているかもしれません。『鴨の水掻き』とは,陰では人知れず努力している人に対して使うことが多いことわざです。
 皆さんも,人が見ているところでも,見られていないところでも,精一杯努力しましょう。そして,鴨のようにすまし顔で水面に平然と浮かんでみませんか。

令和4年3月4日(金)
下を向いていたら,虹を見つけることはできないよ
 この言葉は,イギリスの映画俳優であり,映画監督でもあった,チャールズ・チャップリンの言葉です。
 下ばかりを見ていたら,上にあるものは,見えません。これは,当たり前のことです。
 皆さんの目の前には,もしかしたら虹色の人生が待っているかも知れません。「なんて私は運がないんだ」とか「もっと才能があったら良かったのに」などと下を向いてマイナスなことばかり考えていませんか?もしかしたら,皆さんのすぐ目の前には,7色の虹があるのかもしれません。しかし,目の前に虹があるのにも関わらず,虹に気づく前に,前に進むことを諦め(あきらめ),やめたり座り込んだりしていませんか?
 今こそ顔を上げましょう。そして,周囲の景色を見てみましょう。きっと虹をはじめ,明るい希望が見えてくることもあろうかと思います。
 また,時には息抜きをして,目の前のやるべきことからしばらくの間目を離し,即ちリセットしてから,また見直すこともいいかもしれませんよ。