Skip to content

令和4年2月21日(月)
明日(あした)は明日(あした)の風が吹く
「明日は明日の風が吹く」とは,先のことを案じていても何も始まらないから,成り行きに任せて生きるのが良いという意味です。皆さんの中には,先のことを考えては「失敗したらどうしよう」「大丈夫かな…?」と色々と不安な気持ちを抱えてしまう人もいるかも知れません。
しかし,明日のことは明日になるまでどうなるか誰にも分からないのですから,先のことを考えて不安になっても仕方のないことです。
そのため,色々と考えて不安な気持ちになるよりも,「その時になってみないと分からない」と気楽に考えた方が,精神的にも楽ですし物事(ものごと)が上手に運んでいくかもしれません。「明日は明日の風が吹く」のですから。

令和4年2月18日(金)
楽しいから笑うのではない,笑うから楽しいのだ
「楽しいから笑うのではない,笑うから楽しいのだ」とは,アメリカの哲学者であり,心理学者であるウィリアム・ジェームズの名言です。
この座右の銘は,辛いことや悲しいことがあっても笑顔でいることを心掛けるだけで,自然と明るく前向きな気持ちになるということを説いています。
人生は山あり谷ありで,時には辛い出来事や悲しい出来事に直面することもあります。しかし,これは長い人生を歩んでいく上で仕方のないことです。
そのため,どうせ同じ人生を歩んでいくのであれば,少しでも楽しい人生を歩んでいくために,笑顔を作る努力をすることが大切なのです。
志布志中の皆さん,楽しいから笑うのではありません。笑うから楽しくなるのです。

令和4年2月17日(木)
「勉強ができる」と「頭がいい」は同じなのでしょうか?
 学校生活を中心とした毎日を送っている,志布志中学校の皆さんは,テストの点数だとか,成績だとか順位だとかというもので評価され,判定されています。
 目に見える数字の形で,突きつけられているのです。ですから,「勉強ができる,できない」が頭のよさを測る絶対的な「ものさし」であるかのように思っているのかも知れません。
 しかし,実際はそうではありません。
 学生という立場が終わって,社会人になると,頭のよさを測る物さしが,突然変わります。「勉強ができること」から,「社会に適応できること」に切り替わるのです。
 私は,勉強ができるのはいいことだと思っています。できないよりはできたほうがいいです。しかし,勉強ができなければ社会に出てからも「頭のいい人」としてやっていけるかというと,そうとは限りません。社会に適応できなければダメなのです。
 例えば,一流大学を出て就職したけれど,周りの人とうまくコミュニケーションできない人がいます。今何をすることが求められているのか,ピンときていません。こういう人は,
「勉強はできたのかも知れないけれど,使えない人だ」と言われてしまいます。
 それまでずっと,「勉強ができる」「頭がいい」などと褒め続けられてきた人が,社会に出た途端,一気にたたき落とされてしまう。プライドもズタボロになってしまいます。
 あるいは,素晴らしい学歴を持ち,社会的に高い地位に就いていながら,犯罪行為をしてしまう人もいます。時々ニュースになりますよね。「自分さえ良ければいい」という気持ちで,社会のルールに反する行為を平然とやってしまうのです。
 どんなに勉強ができる秀才でも,人としてやってはいけないことの判断がつかないのは,本質的に頭が良くない,と言わざるを得ません。