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令和3年3月4日(木)
「目標設定」は,遅すぎることはありません
 目標を設定するのに「遅いから,ダメ」ということはありません。
 世界的に有名なケンタッキー・フライドチキンを創ったカーネル・サンダースを知っていますか?彼がケンタッキー・フライドチキンに取り組み始めたのは,なんと彼が64歳からです。カーネル・サンダースは,1890年にインディアナ州クラーク郡のヘンリービルで生まれました。ヘンリービルは,ケンタッキー州最大の都市ルイビルから30kmほど離れた町です。サンダースが6歳のときに父親が亡くなりました。そこで,母親が工場で働きながらサンダースとその弟や妹を育てました。サンダース自身も10歳から農場に働きに出ています。貧しかったため,学校は14歳で辞め,1906年,16歳のときに年齢をごまかして陸軍に入隊しました。彼の軍隊における階級は一兵卒(いっぺいそつ)であり,大佐(カーネル)にはなっていません。1年後に除隊した後は,青年期にかけて様々な職業を渡り歩きました。その後1930年40歳の時にケンタッキー州でガソリンスタンドを経営するようになりました。道を尋ねに来た客に対しても誠意ある接客をしていたそうです。同年6月,ガソリンスタンドの一角で「サンダース・カフェ」を始めました。サンダースはガソリンスタンドの経営者と調理師とレジ係を兼ねたそうです。「サンダース・カフェ」の目玉商品がフライドチキンでした。彼が64歳のときに,フライドチキンをワゴン車に積んであちこちの町を回り,各地のレストランで試食してもらって気に入ってくれたレストランにフランチャイズになってもらっていました。このようにして規模を拡大していき世界的に大きなフランチャイズ店にすることができたのです。1935年には「州の料理への貢献」が評価され,ケンタッキー州のルビー・ラフーン知事から「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を与えられました。
 『遅すぎる』という言葉はあてはまりません。始める時期ではなく,実際に『やるかやらないか』だと思います。

令和3年3月2日(火)
島津日新公のいろは歌
 日新(じっしん)公(こう)いろは歌は,島津家中興の祖で,島津義弘の祖父でもある島津忠良(ただよし:号は日新斉・じっしんさい)が,5年余の歳月をかけ完成させた薩摩藩の郷中教育の基礎となった47首の歌です。今まで38首紹介してきました。ちなみに,島津家中興の祖「島津忠良」の母は,志布志生まれの島津常盤(しまづ ときわ)です。
 今日は39首以降の5首を紹介します。
ゆ 弓を得て失ふことも大将の こころひとつの 手をばはなれず
集団の結束力をまとめるのも失うのも,すべて大将の心一つにかかっているものだ。
め めぐりては我が身にこそつかへけれ 先祖のまつり 忠孝(ちゅうこう)の道
先祖を祀ることや,忠孝の道に尽くすということはやがて自分にめぐりめぐってくるものです。おろそかにしてはなりません。
み 道にただ身をば捨てんと思ひとれ 必ず天の 助けあるべし
正しい道であれば我が身を捨てて突き進みなさい。そうすれば,かならず天の助けがあるはずです。
し 舌(した)だにも歯のこはきをばしるものを 人は心の なからましやは
舌でさえ,その触れる歯が硬いことを知っています。ましてや人においてはなおさらです。交流する相手が正しい人か悪い人かを判断する心がなくてはなりません。