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令和3年2月3日(水)
「“serendipity”セレンディピティ」の例「付箋(ふせん)」
 現在,事務用品や学用品として広く使われているものに「付箋」があります。この「付箋」を開発したのはスリー・エム社です。
 1968年,スリー・エム社は,強力な接着剤の開発を行っていました。しかし,なかなか成功せず粘着力の弱い接着剤ばかりができてしまいます。そんな接着力の弱い接着剤の一つに「よくつくけれど,すぐにはがれる」性質を持つ不思議な接着剤がありました。しかし,当時の研究員らはその接着剤は商品にならないと考え,数年間放置していました。
 1974年12月のことです。スリー・エム社の研究者アート・フライは,聖歌隊員でもあり日曜日に教会で他のメンバーと歌っていました。聖歌集には,歌うページにしおりをはさんでいるのですが,これがいつも落ちてしまいます。12月のこの日も,落ちたしおりを拾いながら,フライは「しおりが落ちなければいいのになあ」と思いました。その時フライは,「しおりの端に糊(のり)をつける」ことを考えました。簡単なようですが,これを製品化するには粘着剤の改良が大きなポイントでした。従来からある普通の糊だと,剥(は)がす時に紙が破れてしまいます。その時です。アート・フライの脳裏に数年間放置されていた,あの接着剤のことが浮かんだのです。
 しっかりと貼れきれいに剥(は)がせる。この矛盾した性質を持った粘着剤があったのを,フライは思い出しました。それは,強力な接着剤を開発していた研究員のスペンサー・シルバーが日夜研究を重ねる中で開発した,強力どころか「何を貼りあわせても簡単に剥(は)がせてまた貼れる」反対の性格をもつ粘着剤でした。
 こうして,突然思い浮かんだ「落ちないしおり」というアイデアと「ユニークな粘着剤」との組み合わせによって,1980年に製品化された「ポスト・イット®ノート」は,アメリカでは「5本の指に入る文具」と言われるほどの大ヒット商品になりました。
 「セレンディピティ」とは,予期せぬ幸運に巡り合う能力のことで,失敗が思わぬ成功につながることです。「セレンディピティ」は能力なので,自分の意識や努力次第で向上させることができます。皆さんもこの「セレンディピティ」を向上させていきましょう。

令和3年2月2日(火)
「心の中の鬼」を退治しよう
 節分は,「豆を撒いて鬼を追い払う日」です。この鬼を追い払う行事としての節分の歴史は古く,平安時代の宮中行事が起源とされています。
 平安時代は旧暦の1月1日の前日,つまり大晦日に方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼役が手下役の役人を引き連れて宮中をまわり,厄を払う行事でした。鬼は疫病を象徴しており,鬼の姿をした疫病を追い払うこと,つまり流行病を封じ込めることを目的とした行事です。
 鬼退治と言えば,大流行中のアニメ「鬼滅の刃」も簡単に言うならば「鬼退治の物語」です。この「鬼滅の刃」の中に,婚約者を鬼に殺されてしまった和巳(かずみ)さんを,主人公の竈門炭治郎 (かまどたんじろう)が慰(なぐさ)める場面で,
 「失っても失っても,生きていくしかないんです。どんなに打ちのめされようとも」というセリフがありました。皆さんも,コロナ渦によって学校生活をはじめとするいろいろな活動ができないこと,つまり失ったことがあると思います。しかし,どんなに制約があっても,前に進んでいく必要があると思うのです。
 また,鬼が「強い者が生き延び,弱者は淘汰(とうた)されるのが自然の摂理だ」と主張するのに対し,炭治郎は『生まれた時には誰もが弱い赤子だ。強い者は弱い者を助け守る。そして弱い者は強くなり,また自分より弱い者を助け守る。これが自然の摂理だ」と言い返すシーンもありました。
 このセリフには,昨日ピンクシャツデーで,いじめと対決する姿勢を見せた皆さんの決意と重なるものを感じています。
 昔から疫病を鬼に例えて,邪気を払ってきた節分,豆まきですが,鬼とは,実は私たちみんなの心の中に「弱い心」として潜んでいるかも知れません。
 今日の節分をきっかけとして,新型コロナウィルスや私たちの中の弱い心などの鬼を退治して,より良い世の中になることを願っています。

令和3年2月1日(月)
 「幾たび(いくたび)か 辛酸(しんさん)を歴て(へて) 志はじめて堅(かた)し」
 これは,西郷隆盛,西郷どん(せごどん)の言葉です。「何度も辛く(つらく)苦しい経験を経てはじめて,志は堅く確かなものとなる」という意味です。
 なぜ,西郷どんは何度も苦しい経験をすることになったのでしょうか。
 それは,西郷どんが誠意を持って,自分が信じることを貫いて生きてきたからです。ぶれない軸,信念を持って人生を真剣に生きたからこそ,時代の流れによって苦労した時期もあったのかも知れません。
 西郷どんは,「命もいらず,名もいらず,官位も金もいらぬ人は,始末に困るものなり」とも言っています。
 目先の利益や楽しいこと,便利さ,効率,見返り,報酬(ほうしゅう)など,得をすることばかりを追い求めることは,一見すると時代の流れに乗っているようにも見受けられます。しかし,そのようなことばかり求めてばかりいたら,心が渇ききってしまいます。西郷どんが言っていたのは,私欲も持たず,国家のために命を懸ける人物です。しかし,そこまで高い次元でなくても,そもそも,私利私欲を捨て,愛するもののために命をかける人間は,美しいものなのです。本音と建て前を使い分け,危険をおかしてまで信念を貫くよりも,都合の悪いことは見て見ぬふりをする,そういう人たちばかりになったら,この世は真っ暗の闇のようではないでしょうか。
 本当に私欲を捨て,自分の志を持ち,夢に向かってチャレンジしようという生徒がいる,と感じる時があります。令和の時代,アフターコロナの時代は,私利私欲を捨て,大志を抱き,ひたむきに生きる人が主役になる,そんな気がしています。今は我慢をしなければならなかったり,辛いこと苦しいことを乗り越えなければならなかったりするかも知れません。しかし,夢に向かってチャレンジする皆さんを,私は応援したいし,きっと周りの方々皆さんも応援してくれるはずです。