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令和3年2月16日(火)
全校朝会校長講話
 新型コロナウィルス感染症拡大防止のため,登下校を含めた学校生活ではマスク着用をお願いしています。登下校も,3割くらいの生徒はマスクをしていない状況もあります。新しい生活様式であるマスク着用を徹底しましょう。
 さて,先週までは学年末テストでした。今テストが返却されましたが,その結果に一喜一憂することなく,きちんとテストの修正をかけ,分からないところを分かるようにしておきましょう。一喜一憂とは,状況の変化などちょっとしたことで,喜んだり不安になったりすることです。まわりの状況にふりまわされることなく,きちんと復習し,分かるようにしておくことで次の学年に備えることが大切です。
 さて,以前チャイム1分前に着席し,前の時間までに学習した内容を確認したり,今日学習する内容に目を通したりすることをお願いしました。さらには,黙想の時にそれを頭の中で巡らせると,授業前に予習や復習ができ,学習内容が反復されるので,定着につながるとお話ししました。実践していますか。していない生徒は,是非実践してください。1日6時間授業の1分間で6分,1週間5日で計30分の学習時間を生み出すことができるのですから。
 3年生は,既に進路を決定した生徒もいます。しかし,これから公立高校を受検する生徒のために,さらには,それぞれの進学先で少しでもアドバンテージを保てるように,卒業までの授業を大切にしましょう。1,2年生は次の学年のゼロ学期をいい形で締めくくれるよう,授業中も集中しましょう。また,係活動や作業,部活動なども「終わりよければ全てよし」となれるよう精一杯取り組みましょう。

令和3年2月16日(火)
島津日新公のいろは歌
 日新公いろは歌は,島津家中興の祖で,島津義弘の祖父でもある島津忠良(ただよし:号は日新斉・じっしんさい)が,5年余の歳月をかけ完成させた薩摩藩の郷中教育の基礎となった47首の歌です。今まで30首紹介してきました。
 今日は31首以降の6首を紹介します。
お おもほえず違うものなり身の上の 欲をはなれて 義を守れ人
私欲(しよく)を捨てて,正義を守って行動せよ。私利私欲を取り去って心を明らかにすると迷うことはない。
け 賢不肖(けんふしょう)用(もち)い捨つるといふ人も 必ずならば 殊勝(しゅしょう)なるべし
賢い者を登用し,愚(おろ)かな者を遠ざけて政治を行えと言っている人の中で,それを実行できるならば素晴らしいことだ。それを実行することはなかなか難しいことであるからだ。
ふ 不勢(ふせい)とて敵を侮(あなど)ることなかれ 多勢(たぜい)を見ても 恐るべからず
少数だからといって侮ってはいけない。また大勢だからといって恐れることはありません。少人数でも一致団結すればたくさんの敵を打ち破ることもできます。
こ 心こそ軍(ぐん)する身の命なれ そろふれば生き そろはねば死す
心や士気こそが戦う者の命である。自分たち戦う者の気持ちが一つにまとまっていれば生きることができ,揃っていなければ死を招くことにつながります。
え 廻向(えこう)には我と人とを隔(へだ)つなよ 看経(かんきん)はよし してもせずとも
死者を弔って極楽往生を祈るには敵味方分け隔てなく,平等に祈りなさい。お経は読んでもいいし,読まなくてもよいのです。
て 敵となる人こそ己が師匠(ししょう)ぞと 思ひかへして 身をも嗜(たしな)め
自分にとって敵となる人こそ,わが師匠であると思いなさい。冷静になって観察すれば反面教師として見えてくるでしょう。すなわち手本ともなるものです。

令和3年2月15日(月)
「“serendipity”セレンディピティ」の例「カッター」
 カッターが開発されたのは1956年の日本です。当時は紙を切る作業は,カミソリで行っていました。そして,カミソリの刃が切れなくなるとすぐに捨てていました。
 カッターの発明者である岡田良男(よしお)は昭和6年4月に,大阪市内で四男一女の長男として生まれました。家業は,印刷用紙を断裁する工場でした。幼い頃から工作が好きで,ナイフ・ハサミをよく使いました。昭和19年良男が10歳の時,空襲で家も工場も失い,一家は南紀(なんき)の白浜(しらはま)に疎開(そかい)しました。
 良男は家計を助けるため,中学を中退し働きに出ました。最初の仕事は電気の見習い工でした。その時の電気の仕事で,いろんな道具を使った経験が後のカッターづくりに役立ちました。その後いくつかの仕事を経て,良男はある印刷会社に就職しました。
 印刷の仕事には,紙を切ることが多かったそうです。職人たちはカミソリの刃をつまんで切っていましたが,危いし刃の両端しか使えず,切れなくなるとすぐ捨てていました。
 良男はこの様子を見て「もったいない。何とかできないだろうか」と考えました。その時ふと,板チョコがパキパキと折れる様子が頭に浮かびました。そこから,板チョコのように刃に切れ込みを入れておいて,簡単に刃が折れるようにすれば1枚の刃で何回も新しい刃が使えるとひらめきました。これは「セレンディピティ」です。
 仕事が終わってから,印刷工場の片隅で夜遅くまで試作品を創り続けました。試行錯誤の末に設定した刃の規格は,互換性の関係で世界基準となり,特許も取得しました。しかし,資金も経験もありません。大手メーカーに製造をお願いしましたが,どこも相手にしてくれません。
 良男は「仕方ない,自分たちで作ろう。」と自作を始めました。初めて他の工場に注文した3000本は,仕上がりはバラバラ,刃の入らないものや外れるものばかり。良男は3ヶ月かけ,ペンチなどの工具を手に一本・一本手直しをして商品にしました。それが,折る刃式カッターナイフの誕生でした。ちなみに,折る刃式カッターを開発した良男の会社は,ずばり「オルファ」という社名です。