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「志布志」に誇りをもとう

令和3年4月19日(月)
「志布志」に誇りをもとう
 1週間後の4月27日に,鹿児島県での聖火リレーが行われます。鹿児島県で,最も早く日の出を迎える志布志市が鹿児島県の聖火リレーが始まる場所として選ばれました。
 さて,2006年(平成18年)1月1日に志布志町,松山町,有明町の3町が合併し志布志市が誕生しました。その際,4月24日を志布志の日と制定しました。志布志市では「志あふれるまちづくり」を推進することを掲げ,「し(4)ぶ(2)し(4)」(志布志)と読む語呂(ごろ)合わせからこの日を記念日と設定しました。
 志布志の地名の由来を知っていますか?飛鳥時代,中大兄皇子(なかのおおえのおうじ) がこの地を訪れていたとき,主人の妻と侍女(じじょ)が布を献上しました。それを中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は「上からも下からも志として布を献じたことは誠に志布志である」と喜び,志布志という名前を与えたと言われています。つまり,「しぶし」という地名は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)がこの地に住んでいる人々の志が高いことをたたえて命名されたのです。
 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は,645年に中臣鎌足(なかとみ の かまたり)とともに,平成,令和などの元号を初めて使ったり,天皇を中心とする律令国家成立を目指したりなど,さまざまな改革を行いました。これらを総称して『大化の改新』といいます。
 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ) は後に天智天皇(てんじてんのう)となり,現在でも安楽の山宮神社に祀られている人物です。皆さんは『大化の改新』を成し遂げた中大兄皇子(なかのおおえのおうじ),のちの天智天皇から志が高いと褒められた『志布志』の住民です。誇りをもって志を高く掲げて日々の生活を送りましょう。