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『時見坂(ときんどんの坂)』

令和3年1月14日(木)
時見坂(ときんどんの坂)
 志布志中学校に向かい,市街地側からから上る急な坂を通ったことのない生徒はいますでしょうか。いわゆる「裏門の坂」にあたるあの坂を私たちは「時(とき)見(み)坂(ざか)」とよんでいます。
 しかし,民俗学的に伝承されてきた坂の名称は「ときんどんの坂」というのは知っていましたか。
 道場町から,車両の通れない狭い道に入り,裏門に至るまでの急な坂ですが,標高差は50メートル以上あります。登り始めた坂の左側に平らな場所があります。昔ここに「時見」という方が住んでいたので,「時見どんの坂」の名が付いたと伝わっています。実際には鹿児島弁のなまりで「ときんどんの坂」と呼ばれてきました。
 この時見どんが住んでいらっしゃった屋敷のもう一段上に,小国(おぐに)神社,別名秋葉神社があります。延宝(えんぽう)年間(1673年~)に別な土地にあった神社の神様をこの地に分霊(ぶんれい)として迎え祀ら(まつら)れ建てられました。
 実際には,当時の志布志の町である西町,東町の秋葉(あきば)請(こう)は火災が多かったそうです。そこに住んでいた約780人の方々が,地区を見下ろすこの場所に,火の神として祀ったと言い伝えられています。この秋葉神社が祀られてからは,火災がほとんど発生しなくなったと言われています。また,住民の防災意識は一段と高まり,戦前まで夜回りの伝統が引き継がれていたそうです。夜廻り(よまわり)とは,冬の夜,警備のために所定の地域や建物内を見回ることです。火災防止のために拍子木などを打ち「火の用心」と声を出しながら町内を見回ることです。
 時見坂を通って登下校する生徒も,まだ通ったことがない生徒も,時見坂の途中に火の神が祀られていて,火災防止に努めてきたことに思いを馳せ(はせ)ましょう。そして,私たち志布志中学校のみんなで力を合わせ,新型コロナウィルス感染症などの火災以外の災害にも対応しましょう。