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令和2年9月3日(木)
一寸(いっすん)の虫にも五分(ごぶ)の魂(たましい)
 「一寸の虫にも五分の魂」とは,小さな虫であっても,それなりに「魂」「心」があるという意味です。寸は長さの単位で,一寸は約3.3cmです。五分はその半分,約1.7cmの長さです。
 つまり,3cmあまりの虫であっても,小さいなりの魂,心,気持ちがあるものだ。ましてや人間ならばなおさらである。どんな人間であっても,魂があるという意味です。
 この言葉の奥底には,「みんな誰でもそれなりの魂を持って生きている。その魂をないがしろにしたり,無視して対応したりしてはなりません。」と言う戒めの思いが込められています。
 このように,小さな虫や動物に対してでも魂を見出しているところに,日本人の繊細さが感じられます。他にも,「やせ蛙(がえる) 負けるな一茶 ここにあり」という小林一茶の句などが思い浮かびます。
 この表現と同じように,人間を虫にたとえる表現は,結構多いものです。例えば,めそめそ泣いている子どもに向かって「泣き虫」とか,「弱虫」などと言ったりしますよね。このように,虫は私たちの日常に密接に関わっている生き物ですから,様々な言葉,表現に使われるのです。
 当然のことながら,学校や学級の仲間にも,それぞれ魂・心があります。そして,誰の魂・心も大切にされなければなりません。なぜなら,虫でさえも,魂・心を持っているのですから。

令和2年9月2日(水)
9月1日は「防災の日」
 昨日は防災の日でした。防災の日は,1960年(昭和35年)に制定されました。9月1日の日付は,1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんだものです。さらに,例年8月31日から9月1日付近は,台風の襲来が多いとされる二百十日にあたることから「災害への備えを怠らないように」との戒めも込められています。
 さて,江戸時代に活躍した,二宮尊徳(にのみやそんとく:二宮金次郎)を知っていますか?尊徳は,幼い頃両親を亡くし,勉強したいのに勉強できないという不遇(ふぐう)の少年時代を過ごした人物です。そんな少年時代の中,働きながら昔の出来事が書いてある本をたくさん読むなど,自らを高める勉強をしていたそうです。
 初夏のある日,二宮尊徳が食事の際に出されたナスを食べたときです。季節は夏の初め頃なのに,尊徳はもう秋ナスの味を感じました。秋ナスとは9月の終わりから10月ごろに収穫されるナスのことです。この時期は,昼と夜との温度差が非常に大きいため,やわらかくてみずみずしいナスに成長するのだそうです。尊徳は,「今年の夏は冷夏になり,稲が育たないかも知れない」と直感しました。それで尊徳は農民たちに冷害に強いヒエを栽培するように勧めました。その後尊徳の予想どおり,真夏になっても気温が上がらず,稲の穂は実りませんでした。これは,「天保(てんぽう)の大飢饉(だいききん)」といわれる大災害の始まりでした。尊徳は50年前に発生した飢饉(ききん)の様子を知っていたので「やがて大飢饉がやってくる。米ではなく,寒さに強いヒエやアワ,大豆を作るのだ。」と言って各家庭に十分に備蓄させました。その後,尊徳が予想したとおり,全国的な飢饉が発生し,餓死者が数十万人を超えました。しかし,尊徳が暮らしている村は,雑穀の備えが十分あったため,一人の餓死者も出さなかったそうです。
 過去の事例に学び,十分な備えをしておくことが大切であるという逸話です。また,地震なども発生するかも知れません。現在の新型コロナウィルス感染症拡大第2波に対する備えも含め,十分な備え,準備をすすめておきましょう。