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『馬耳東風(ばじとうふう)』

令和2年11月2日(月)
「馬耳東風(ばじとうふう)」
 馬耳東風とは,人の意見や批評を聞かず聞き流すことです。馬耳東風とは,かぐわしい春風が馬の耳を吹きぬけても,馬になんの感動もないこと。他人の忠告や批評(ひひょう)などを聞いてもまったく心に留めず,少しも反省しないことのたとえです。
 簡単に言うと,「馬は耳をなでる春風に何も感じない」ということです。「馬耳東風」の「馬耳」は「馬の耳」,「東風」は「東から吹く暖かい風(春風)」を表します。人は春風が吹けば寒い冬が去って暖かくなると思って喜びますが,馬は耳をなでる春風に何も感じません。
 もとは,李白(りはく)の『答王十二寒夜独有懐(おうじゅうの かんやどくしゃして おもいありにことう)』にある次の詩です。
 詩を吟(ぎん)じ賦(ふ)を為す北窗(ほくそう)の裏,萬言(ばんげん)直(あたい)せず,一杯の水。
(北に面した窓に寄りかかり,詩を吟じ,賦を作り,多くの優れた言葉を連ねても,それは一杯の水にも値しないのである)
世人(せじん)此(こ)れを聞き皆頭(こうべ)を掉(ふる)う。
(世の中の人たちは詩や賦(ふ)を聞いても,良さが分からずに頭を振る)
 東風の馬耳(ばじ)を射るが如きあり。
(馬が耳をなでる春風に何も感じないように)
 「馬耳東風」と混同されやすい言葉として「馬の耳に念仏」があります。意味が若干違いますので注意しましょう。
 「馬耳東風」とは,人の意見を聞き流して心に留めないことです。
 「馬の耳に念仏」とは,いくら言い聞かせてもその価値がわからないさま,効果がないさまです。
 「馬耳東風」も「馬の耳に念仏」も聞き入れないことを表していますが,「馬耳東風」は「人の意見を聞き入れない」,「馬の耳に念仏」は「人の意見を理解できない」というニュアンスで使います。今日の一言の意味は分かりましたか。この放送を聞き逃している人や聞いてもうわの空の生徒は,「馬耳東風」なのかも知れません。