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『恥(はじ)の文化』

令和2年12月17日(木)
恥(はじ)の文化
 アメリカの女性人類学者ルース・ベネディクト氏の著書「菊と刀 日本文化の型」によると日本は,「恥の文化」です。そして,欧米人は「罪(つみ)の文化」です。
 ある欧米人が日本で山登りをしたとき,あちこちにゴミなどが捨てられていることが気になり,その原因を調べました。すると,日本人の心無い登山者が捨てていくことが分かりました。さらに観察すると,彼らは周りに人がいると絶対にゴミを捨てないのですが,誰もいなくなったとわかると,平気でゴミを捨てるのです。
 これは「人が見ているからやらない」,「人が見ていないなら構わない」というように,「他人の目」が行動を決定する規準となっているということです。これがベネディクトのいう「恥ずかしいか,恥ずかしくないか」という基準で行動を決定する「恥の文化」ということです。これに対し,欧米ではゴミを捨てる人が少ないです。欧米人は「他人の目」ではなく「神様がいつも私を見ておられる」と言います。欧米人は神との対話の中で行動を決定しています。これが「罪の文化」です。つまり,日本の「恥の文化」は「他人の目」という相対的な基準であり,欧米では「罪」という絶対的な基準が人間の行動を決定しているのです。
 日本人は恥をかくことを嫌います。このような日本の伝統である「恥の文化」がなくなってしまうと,日本がおかしな方向へ行ってしまいます。
 「恥の文化」が存在する限り,人目を気にし秩序は保たれます。しかし日本人が「恥」を感じなくなれば,秩序のない時代に突入します。つまり,「恥ずかしいか,恥ずかしくないか」ではなく,「自分の欲求を満たすか満たさないか」という自分の欲求を基準に行動を決定するような「欲の文化」に移行する危険があるのです。スマホが普及し,いつでも誰でも写真や動画を撮り,あっという間にSNSで他人に情報提供ができる時代になった一方,それらの行動が個人の責任に任されることになり,個人の道徳観や倫理観がよりいっそう重視されます。明らかに道徳性に反する行為や恥ずかしい行動の画像を投稿する若輩者(じゃくはいもの)の行為は「罪」の意識も「恥」の意識もなく,「有名になりたい」という自らの欲求で行われているようで,日本が「欲の文化」に移行するのではないかと危惧(きぐ)しています。