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エピソード4
「お山の大将」
~本校のいじめ予防対策~
                                              校長 若松 剛志

 小学4年生で学校が統廃合するまで,同級生10名の小さな小学校でお山の大将でした。ですが,現在報道されている「いじめ問題」が起こる余地はありませんでした。
 なぜなら,弱い者をばかにしたり,のけ者にする雰囲気は地域になかったからです。正義が大手を振ってまかり通る,昭和40年代でした。
 いじめは,人権侵害であり,最終的には相手を「死」に追い込むこともあります。鹿児島市では3件(小6女児が30日以上欠席したケース,中2女子の転校したケース,中2男子の心的外傷ストレス障害のケース)の過去のいじめについて弁護士や精神科医ら6人の委員からなる第3者委員会が開催されたことが報道されました。

 本校でも,「いじめは,いつでも,どこでも,だれにでも起こる。」という認識のもと,被害を受けた児童の視点に立って,どのようなことが起こったのか「事実」をしっかりと把握した上で,指導,支援を行っていきます。
 過去のいじめ裁判における裁判所が示す,学校の取るべき対応は,次のようなものな
のです。                                                                      
1 事態の全容を把握せよ。                  
2 教育手段を講ぜよ。                      
 児童全員に「いじめがいかに卑劣で酷い行為か」知らしめ, 周囲にも傍観しないように訴え,被害児童にもいじめと闘う気概を持つことの大切さを説く  │                 
 
  被害者家族が求めているものは,何が起こったのかを知りたいということです。
                                                                              
  本校では,これから気になることを発見したら,事実を早期に複数職員で冷静に聞き取ること。(腫れ物に触るような対応は,かえって不信感をもたらしますので,毅然と事実確認をしていきます。) 一人で解決しようとはせず,情報の共有化を図り,学校全体で取り組みたいと思います。                                                                      │
 
 もうすぐ夏休みになりますが,夏休み期間中でも新型コロナに感染したり,交通事故等にあったら学校まで一報ください。
 全員が元気に2学期の始業式に参加できることを祈念しています。

エピソード3
「母のこと」
~親を大切に思う心を育てたい~
                                              校長 若松 剛志

 親とは本当にありがたいものです。私の母などは,つい数年前まで,私の妻には隠れて「お金はあるの?」と,私に小遣いを渡そうとします。あべこべです。いい大人になった長男なのに母にとっては,いつまでも心配な心配な大切な我が子なのでしょう。

 私が若い頃には,「なすびの花と親の意見に無駄はない」などと,お節介をしてきたものです。私が大好きなので,自分で育てたスイカを宅急便でわざわざ送ってくるぐらいです。買った方が宅急便代より安いのに。母が作る角巻き(つのまき)(坊津地域では唐人巻きと呼ぶようです)も大好物で毎年毎年楽しみにしていました。

 母は,ウミガメの卵が大好きでした。今は食べることはもちろんできません。ウミガメが産卵したら,砂浜にパワーショベルが通ったような跡が残るので,すぐに分かります。子どもの頃は,すぐに掘りに行って,1個5円ほどで近所の人にも売って小遣い稼ぎをしたものです。母は,ゆで卵にしたり,生ですすって食べていたようです。(鹿児島県ウミガメ保護条例は昭和63年制定ですから,昭和40年代はまだ採ってもよかったのです。今は,罰せられます。)
 
 親って本当にありがたい。
 生まれ変わっても,母と父の子どもに産まれたいと思える原田の子どもたちを育てたいと思っています。

エピソード2
「歩育」
~歩いて登校500m以上~
                                             校長 若松 剛志

 先日、大好きなテレビ番組「鬼平犯科帳」を視聴していたら、葬列のシーンがありました。故人を棺に入れ列を組んでお墓まで歩くのです。これは、小学校4年生の国語科で学習する「ごんぎつね」でもでてきます。こんな記述です。「やがて、白い着物を着たそうれつの者たちがやって来るのが、ちらちら見え始めました。話し声も近くなりました。そうれつは、墓地へ入ってきました。人々が通ったあとには、ひがん花がふみ折られていました。」
 私の田舎では私が子どもの頃までは霊柩車はなく、葬列を組んでお寺まで練り歩いていたことを記憶しています。祖母・祖父が亡くなったときは、そうしました。
 何かにつけ歩きました。自転車や車など持っている人はまれでした。我が家にもありませんでした。
 歩くといいことがあります。気分が晴れやかになります。おなかがすき、ご飯がおいしくなります。季節を感じます。風の冷たさや暖かさ、季節の匂い。原田校区を歩くと、今ならたくさんのお茶工場から漂う新茶のいい香りがなんとも気持ちいいものです。何せこんないい香りが「ただ」ですから得した気分です。子どもの頃、炭火で熱したトタンの上のお茶の葉を揉んでいた匂いがよみがえります。
 本校の伝統として「歩いて登校500m以上」があります。仮に登校で500m、下校で500m歩いたとすると1日1kmです。年間の登校日は211日ありますので登下校するだけで211km歩くことができます。6年間で、1266kmです。なんと東京近くまで歩いたことになります。すごい数字だと思いませんか。1266km。子どもの成長にとって大きな数字です。登下校だけで、1266kmも歩くことができるなんて! 
 今の季節なら小雨の日には、カッパ(ポンチョがランドセルをカバーできるのでよいと思います)を着て、長靴を履いて登校してはどうでしょう。水たまりの中を長靴で歩くのは子どもだけではなく、大人も楽しいものです。私もポンチョと長靴を新調し、雨の日の登校を楽しんでいる一人です。

エピソード1
「父のこと」 ~親の背中を見て育つ~  

    校長 若松 剛志

 父は職人気質。昭和の人です。30数年前のことです。父が若い頃,弟子入りしていた石材店の師匠が鹿児島市電の電停の敷石の工事を請け負いました。工期に間に合わないということで父にヘルプの要請がきました。
 父は,田舎から職人さんを連れて2か月間,鹿児島市の旅館に泊まり込んで仕事をしていました。教職に就いたばかりの私は,2月の雪の降る日に,母と仕事の様子を見に行ったことを憶えています。高見馬場電停でした。黙々と頑張っていました。
 後で母から聞きました。「父ちゃんはね。お金を一切もらわなかったんだよ。旅館代も職人さんの給料もだよ。恩返しができたと言っていたよ。」
 家業を継がなかった私ですが,父を自慢に思ったことを覚えています。

 皆さん,子どもに誇れる大人を目指していきましょう。
  「原田」を誇れる子どもを育てていけるよう学校も努力していきます。