Skip to content

令和2年11月4日(水)
空前絶後(くうぜんぜつご)
 空前絶後(くうぜんぜつご)とは,「それまでには例がなく,その後も例を見ない,まずありえない」という意味の四文字熟語です。
 「空前絶後」の「空前」は「前に空(むな)しく」でその前には例がないという意味,「絶後」は「後は絶えて」でその後も例を見ないという意味です。「絶対に後がない」という意味ではありません。ただし現代日本ではこの成句を,「未曾有(みぞう)」「破天荒(はてんこう)解(かい)」「前代未聞(みもん)」などといった成語が表す「いまだかつてない」という意味をさらに強調して表現する際に使われることが多いようです。
 この熟語は,鹿屋市出身のお笑いタレントであるサンシャイン池崎さんの台詞(せりふ)でも有名です。池崎さんは「空前絶後の,超絶怒涛のピン芸人!笑いを愛し,笑いに愛された男!」という言い回しで使っています。空前絶後の意味は,「これまでに前例がなく,今後も出てこない」で,超絶怒濤の超絶の意味は「他よりもはるかにとびぬけて優れていること」で,怒濤の意味は,「凄まじく荒れ狂う大波。また,激しい勢いで押し寄せるようす」です。
 つまり,すごい芸人であることを強調するための「空前絶後」で「超絶怒濤」の芸人との表現をしているのです。
 現在,これまでに前例があまりなく,今後も出てこないかも知れない空前絶後の世界的な新型コロナウィルス感染症拡大,即ちパンデミック状態です。ですから,私たちの学校生活には厳しい制約があります。しかし,教室内では原則マスク着用,手洗いやうがいの励行,正しい消毒液の利用をしましょう。そして,「超絶怒濤」の,他よりもはるかにとびぬけて優れた激しく打ち付ける波のような情熱で新型コロナウィルスを吹き飛ばしましょう。

令和2年11月2日(月)
「馬耳東風(ばじとうふう)」
 馬耳東風とは,人の意見や批評を聞かず聞き流すことです。馬耳東風とは,かぐわしい春風が馬の耳を吹きぬけても,馬になんの感動もないこと。他人の忠告や批評(ひひょう)などを聞いてもまったく心に留めず,少しも反省しないことのたとえです。
 簡単に言うと,「馬は耳をなでる春風に何も感じない」ということです。「馬耳東風」の「馬耳」は「馬の耳」,「東風」は「東から吹く暖かい風(春風)」を表します。人は春風が吹けば寒い冬が去って暖かくなると思って喜びますが,馬は耳をなでる春風に何も感じません。
 もとは,李白(りはく)の『答王十二寒夜独有懐(おうじゅうの かんやどくしゃして おもいありにことう)』にある次の詩です。
 詩を吟(ぎん)じ賦(ふ)を為す北窗(ほくそう)の裏,萬言(ばんげん)直(あたい)せず,一杯の水。
(北に面した窓に寄りかかり,詩を吟じ,賦を作り,多くの優れた言葉を連ねても,それは一杯の水にも値しないのである)
世人(せじん)此(こ)れを聞き皆頭(こうべ)を掉(ふる)う。
(世の中の人たちは詩や賦(ふ)を聞いても,良さが分からずに頭を振る)
 東風の馬耳(ばじ)を射るが如きあり。
(馬が耳をなでる春風に何も感じないように)
 「馬耳東風」と混同されやすい言葉として「馬の耳に念仏」があります。意味が若干違いますので注意しましょう。
 「馬耳東風」とは,人の意見を聞き流して心に留めないことです。
 「馬の耳に念仏」とは,いくら言い聞かせてもその価値がわからないさま,効果がないさまです。
 「馬耳東風」も「馬の耳に念仏」も聞き入れないことを表していますが,「馬耳東風」は「人の意見を聞き入れない」,「馬の耳に念仏」は「人の意見を理解できない」というニュアンスで使います。今日の一言の意味は分かりましたか。この放送を聞き逃している人や聞いてもうわの空の生徒は,「馬耳東風」なのかも知れません。