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 もし,今『君にとって友だちって何ですか』と質問されたら何と答えますか。童話作家で詩人の工藤直子さんは,「友情というのは,まるで猫みたいだ。手に入れたいと追い掛け回すとするりと逃げていく。忘れていると,いつの間にかほっこり膝の上に座っていたりする。」と言われています。
 私たちは,「友だちは自分のことをどう思っているのかな,嫌われていないかなあ」等とふと心配してしまうものですが,工藤直子さんは,『友だちって何だろう』なんて深刻に考えずにゆったりと構えていることも時には必要だということを教えてくれているのだと思います。
 もう亡くなられた映画評論家の淀川長治さんは,「今までに嫌いな人に会ったことがない」と話されています。これは本当にすごい事だと思います。相手が自分のことをどう思おうと,出会った人の「良い所」を見つけ,みんなのことを好きになろうとしたと言われているのです。
 私たちにとって「友だち」を持つことは,生きていく上でとても大切なことです。友だちは,これから歩む人生の道々に出会うであろう困難を乗り越え,より充実した人生をつくるために必要なのものです。
 しかし,友だちは簡単にできるものではありません。学級や学年という集団で生活をしていれば,時には言い争いやケンカをすることもあるでしょう。しかし,相手を信頼してぶつかれば相手もまた信頼してくれるはずです。そのような日常どこにでもある事を繰り返していくことで「友人」と呼べる中間を創れるのではないでしょうか。
  「私の心は,あなたの心を映す鏡である」という言葉もあります。淀川長治さんが実践された『出会った人の「良い所」を見つけ,みんなのことを好きになる』。つまり,自分が相手を好きになる事で相手も自分の事を好きになってくれるのだと思います。ぜひ,挑戦してみてください。

 『時間ほど浪費しやすいものはなく,時間ほど貴重なものはない。』という言葉があります。当たり前のように身の回りにあり,何気なく使っている時間は生活する上で大切であると分かっているのに,つい浪費してしてしまうものです。
 この「時間」という文字を「言葉」に置き換えることはできないでしょうか。『言葉ほど軽く発してしまいがちなものはなく,軽く発した言葉ほど重たく感じるものはない。』どうですか。
 深く考えることもなく,何気なく発した言葉が,友だちを傷つけてしまったという経験はありませんか。LINEやSNSなどで軽い気持ちで書き込んだ「文字」が,自分の意図とは違った形で友達に伝わり,その相手にだけではなく関係ない人たちにも広がってしまい,自分が軽い気持ちで発信した「言葉」の重さを痛感した人はいませんか。
 『言葉』や『文字』は,私たちの身の回りに当たり前のようにあり,生きていく上でなくてはならないものです。私も中学生時代,友だちに軽い気持ちで話した事が,次の日に学校中に広まり,最も大切な友だちを傷つけて,自分の発した言葉の重さを痛感し,人を傷つけないためには「何も言わない」事が一番だと考え,高校を卒業するまで人前で話をすることができなくなった経験があります。
 『言葉』は,自分の想いや考えを伝える大事なツールです。そして,周りの人を励まし勇気づける道具です。
 昨日も話しましたが,「言葉は,こだまする。」と言われます。
『「ありがとうございます。」等の優しい言葉がこだまする学校』をみんなで創っていきましょう。