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令和2年12月9日(水)
たゆまざる 歩みおそろし カタツムリ
皆さんは,2年生の修学旅行先の長崎市松山町の平和公園にある平和祈念像を知っていますか。これを刻んだ長崎県出身の彫刻家の北村西望(きたむらせいぼう)氏が作った句に「たゆまざる 歩みおそろし カタツムリ」という句があります。北村氏は,昭和62年3月4日に,102歳で亡くなる日まで現役で創作に励んだ,という元気な方でした。
北村氏の半生(はんしょう)は,苦労の連続でした。日展でライバルたちは次々と受賞,北村氏は8年間も賞を取れず,彫刻を辞めようと思ったこともあったそうです。「私は天才ではない。人より5倍も10倍もかかるのです。いい仕事をするには長生きをしなければならないのです。」と語っています。北村氏は平和記念像をつくるのにも昭和26年から4年間をかけてようやく完成させました。平和祈念像を作っていたある夜,足下(あしもと)にいたかたつむりが,翌朝見てみると10メートルもある像のてっぺんに登っているのを見つけました。それを見た北村氏が感動し,自分の半生を思い作った句がこの句です。
 カタツムリの歩みは,とても遅いです。しかし,そんなカタツムリがいつの間にかてっぺんまで登っているのです。それを見た北村氏はいたく感動したそうです。カタツムリにこつこつと粘り強く歩み続けるエネルギーの驚異をみました。北村氏はカタツムリを尊敬するようにさえなったそうです。
 北村氏が100歳になった際,島原市の玉宝寺(ぎょくほうじ)の聖観音(しょうかんのん)像の台座に,「たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ」という座右銘(ざゆうのめい)を書きました。そして,その後も亡くなるまで研鑚を続けたといいます。
 「たゆまざる 歩みおそろし カタツムリ」
 みなさんも,途中で休むことなく継続し,努力することで大きな偉業をなすことが出来るかも知れません。

令和2年12月7日(月)
島津日新公のいろは歌
 日新公いろは歌は,島津家中興の祖で,志布志生まれの島津常盤(しまづ ときわ)の子でもある島津忠良(ただよし じっしんさい)が,5年余の歳月をかけ完成させた薩摩藩の郷中教育の基礎となった47首の歌です。今まで18首紹介してきました。
 今日は19首以降の5首を紹介します。
つ つらしとて恨(うら)かへすな我れ人に 報い(むくい)報い(むくい)て はてしなき世ぞ
相手の仕打ちがどんなに辛くても相手を恨み返してはなりません。次から次へ恨みが続くので,それは良くないことだからです。恨みには徳を持って対処すべきなのです。
ね 願わずば隔(へだて)もあらじ偽(いつわり)の 世に誠(まこと)ある 伊勢の神垣(かみがき)
誠意を持って事にあたれば相応の人生を歩むことができ,不正を持って事に対処すれば結局は地獄に落ちてしまいます。人は欺(あざむ)けても,天は公平に人を見ており,欺け(あざむけ)ません。
な 名を今に残し置ける人も人 こころも心 何かおとらん
後世に名を残した偉人も,人であり我々と違いはありません。心も同じなのですから我々が及ばないということはありません。努力・奮起して努力することが必要です。
ら 楽も苦も時過ぎぬれば跡もなし 世に残る名を ただ思ふべし
苦労することや楽しいことはずっと続く事ではなく,時が過ぎれば跡形もなくなります。だからこそ困難に耐えて世の為に身を粉にして尽くすべきなのです。歴史に名声を残すような事を心がけなさい。
む 昔より道ならずして驕る(おごる)身の 天のせめにし あはざるはなし
昔から,人の道から外れおごり高ぶった者で天罰を受けなかった者はいません。人は誰しも正しい道を歩んでおごりを遠ざけ,神を敬い教えを守っていきなさい。
 もう一度,今日の5首を繰り返します。
つ つらしとて恨かへすな我れ人に 報い報いて はてしなき世ぞ
ね 願わずば隔もあらじ偽の 世に誠ある 伊勢の神垣
な 名を今に残し置ける人も人 こころも心 何かおとらん
ら 楽も苦も時過ぎぬれば跡もなし 世に残る名を ただ思ふべし
む 昔より道ならずして驕る身の 天のせめにし あはざるはなし

令和2年12月1日(火)
「天上天下唯我独尊」の意味
 「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」とはお釈迦さまが生まれた際に発した言葉です。「宇宙の中で私より尊い者はいない」という意味で,お釈迦さまが誕生した時に,右手を挙げて唱えたと伝えられています。
 「天上天下唯我独尊」の「天上天下(てんじょうでんが)」とは,天の上にも天の下にも,ということで,大宇宙広しと言えども,という意味です。
 次に「唯我独尊(ゆいがどくそん)」ですが,「我(が)」は自分だけを指すことばではありません。我々とか私たちという意味です。ですから「唯我(ゆいが)」とは,ただ,私たち人間だけに,ということです。
 「独尊(どくそん)」とは,たった一つの尊い使命がある,ということで, 「唯我独尊(ゆいがどくそん)」とは,「私たち人間に生まれなければ果たすことのできない,たった一つの究極の目的がある」と意味です。
 ですから,「天上天下唯我独尊」とは,犬や猫,虫けらに生まれたら果たすことのできない,私たちが人間に生まれたときしか果たすことのできない,たった一つの目的がある」という意味です。「どんなに苦しくても自殺してはいけませんよ,その目的を果たすまで,生き抜きなさい」という意味にも解釈できます。
 すべての人には尊い目的があります。お釈迦さまは2600年前に「万人は平等なり」と仰っ(おっしゃっ)ています。お釈迦さまがおられた当時のインドでは,バラモン,クシャトリヤ,ヴァイシャ,シュードラといわれる,厳しい身分制度であるカースト制度がありました。
 バラモン(僧侶(そうりょ))とクシャトリヤ(王族)は,ほとんど,同等の貴い身分とされていましたが,ヴァイシャ(一般庶民)はそれらに対して結婚はもちろん,交際から職業の自由などありませんでした。
 シュードラ(奴隷どれい)にいたっては,直接他の身分と言葉も交わすことができないという,虫けら同然の扱いでした。
 そのカースト制度の中にありながらお釈迦さまが身分制度を打ち破り,どんな人も尊い目的を果たす為に人間に生まれてきたのだ,すべての人は平等である,とおっしゃったのが「天上天下唯我独尊」の言葉なのです。