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「勉強ができる」と「頭がいい」は同じなのでしょうか?

令和4年2月17日(木)
「勉強ができる」と「頭がいい」は同じなのでしょうか?
 学校生活を中心とした毎日を送っている,志布志中学校の皆さんは,テストの点数だとか,成績だとか順位だとかというもので評価され,判定されています。
 目に見える数字の形で,突きつけられているのです。ですから,「勉強ができる,できない」が頭のよさを測る絶対的な「ものさし」であるかのように思っているのかも知れません。
 しかし,実際はそうではありません。
 学生という立場が終わって,社会人になると,頭のよさを測る物さしが,突然変わります。「勉強ができること」から,「社会に適応できること」に切り替わるのです。
 私は,勉強ができるのはいいことだと思っています。できないよりはできたほうがいいです。しかし,勉強ができなければ社会に出てからも「頭のいい人」としてやっていけるかというと,そうとは限りません。社会に適応できなければダメなのです。
 例えば,一流大学を出て就職したけれど,周りの人とうまくコミュニケーションできない人がいます。今何をすることが求められているのか,ピンときていません。こういう人は,
「勉強はできたのかも知れないけれど,使えない人だ」と言われてしまいます。
 それまでずっと,「勉強ができる」「頭がいい」などと褒め続けられてきた人が,社会に出た途端,一気にたたき落とされてしまう。プライドもズタボロになってしまいます。
 あるいは,素晴らしい学歴を持ち,社会的に高い地位に就いていながら,犯罪行為をしてしまう人もいます。時々ニュースになりますよね。「自分さえ良ければいい」という気持ちで,社会のルールに反する行為を平然とやってしまうのです。
 どんなに勉強ができる秀才でも,人としてやってはいけないことの判断がつかないのは,本質的に頭が良くない,と言わざるを得ません。