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『島津日新公のいろは歌』

令和2年7月2日(木)
島津日新公のいろは歌
 日新公いろは歌は,島津家中興の祖で,島津義弘の祖父でもある島津忠良(ただよし:号は日新斉・じっしんさい)が,5年余の歳月をかけ完成させた47首の歌です。日新公いろは歌は,薩摩藩の郷中教育の基礎となったと言われています。ちなみに,島津家中興の祖「島津忠良」の母は,志布志生まれの島津常盤(しまづ ときわ)です。令和の時代でも何かしらの参考になると思いますので,紹介します。

いろはの「い」
い いにしへの道を聞きても唱へても わが行に せずばかひなし
  「いにしへ」とは昔のことです。昔の偉(えら)い人の立派な教えや学問も耳で聞くだけ,口に唱えるだけでは,何の役にも立ちません。自分自身が実践したり実行したりすることが最も大事なことなのです。
いろはの「ろ」
ろ 楼(ろ)の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそは 高き いやしき
  立派な御殿に住んでいようと,粗末な小屋に住んでいようとも,それで人間の価値は決まるものではありません。心の在り方によってこそその人が尊いのか,卑しいのかの真価が決まるのです。
いろはの「は」
は はかなくも明日の命を頼むかな 今日も今日と 学びをばせで
明日のことは誰もわからない。勉ぶことを明日に引き延ばしたとしたら,もし明日自分が死んだらどうするのですか。今この時この瞬間を大切にすべきです。
 もう一度,いろはの3首を繰り返します。
い いにしへの道を聞きても唱へても わが行に せずばかひなし
ろ 楼(ろ)の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそは 高き いやしき
は はかなくも明日の命を頼むかな 今日も今日と 学びをばせで